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第22回 1907年(明治40年)前後のお菓子

これまで明治維新以来の洋菓子の歴史をたどってきましたが、明治も終わりになると実にさまざまなお菓子が作られました。1912年(明治45年)頃のの記録には次のようなお菓子が見られます。 シュークリーム、エクレア、ゼノアズ、ブッシェ...

第23回 門倉國輝氏、フランスでミキサー購入 ~コロンバン (1)~

1900年代に入ると日本の洋菓子の歴史を語る上で欠かせないもう1人の人物が登場します。それは銀座コロンバンを創設した門倉國輝氏です。 門倉國輝氏は1893年(明治26年)に生まれ、1904年(明治37年)11歳で横浜の米津_月...

第24回 洋菓子業界隆盛のシンボル、門倉國輝氏 ~コロンバン (2)~

フランスから帰国後、門倉國輝氏は1924年(大正13年)、大森で純仏蘭西菓子の製造販売を始めました。1929年(昭和4年)には銀座6丁目の角に銀座コロンバンを開きました。銀座コロンバンには当時日本で唯一といえるものがいくつもありまし...

第25回 日本に根をおろしたドイツ人

1914年(大正3年)、ボスニアの首都、サラエボでオーストリアの皇太子夫妻が暗殺されました。この銃声はヨーロッパ全土を巻き込む世界大戦への引き金となり、日本も連合側に参戦、中国山東省の青島でドイツと戦火を交えました。しかし、戦場は主...

第26回 業界のグループ生まれる

一般社団法人日本洋菓子協会連合会の前身、「日本洋菓技術協会」創設時のメンバーの1人である木村吉隆氏は、1915年(大正4年)に京橋南鍋町の米津_月堂に見習いとして住み込み、修業に励んでいました。木村氏は洋菓子の未来を信じていましたが...

第27回 1928年(昭和3年)、海外の展覧会に出品

「日本洋菓子史」にしばしば登場する古老の1人、橋倉弘安氏は日本郵船のベーカーとして世界各地を廻っていました。業界視察のため欧米に派遣された1928年(昭和3年)の8月、ロンドンで行われた展覧会に、砂糖で作った大作を出品しました。これ...

第28回 戦争、統制経済で衰弱

第1次世界大戦後の恐慌の余波でその後の日本の経済は、慢性的不況に陥っていました。失業者は増え、全国各地でストライキや小作争議が勃発、1930年(昭和5年)、1931年(昭和6年)と不況は深刻化しました。 経済は破局、中国では民...

第29回 復興

終戦を迎えても食糧事情はすぐには好転しませんでした。人々は食糧を求めて毎日精一杯生きる日が続いていました。 菓子類の価格の統制が撤廃されたのは1949年(昭和24年)8月でした。原材料は1949年(昭和24年)に水あめ、練粉乳...

第30回 内田新八氏の絞りの技術

内田新八氏は内田式アートパイピングの絞り方を確立した方として日本の洋菓子史に名を残しています。 内田氏は1924年(大正13年)、森永製菓に入社し、ピース、チョコレート、ドロップスの部署を歴任しました。ある時、ドロップの破片で...

第31回 「日本洋菓技術協会」結成、機関誌「ガトー」発行

【創立委員の顔ぶれ】 写真の前列左から禿下喜次(みどりや)、高須八蔵(精養軒)、特別出席の門倉国輝(コロンバン)、石黒 茂(トロイカ)、田中三之助(新宿メイフラワーホテル)、佐藤与吉、服部広治(日活国際会館)、後列左から大谷長吉...
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