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第2回 幕末と西洋1 ~異国の食べ物に好奇心~

鎖国政策をしいていた間も長崎にはオランダ、イギリスなどの商館があり、そこには日本人コックも働いていました。彼らがどんなメニューをどう調理したのか、食材の調達、台所、調理器具など、想像すると興味はつきません。 時代が移り、江戸時...

第3回 幕末と西洋2 ~ハリスの料理番~

1856年(安政3年)、伊豆下田の玉泉寺には、米国の総領事、タウンゼント・ハリスと通訳官のヒュースケンが滞在していました。 ハリスには滝蔵という身の廻りの世話をするボーイ(給仕)がおり、彼は料理も作っていました。滝蔵は英語はできませんでし...

第4回 横濱とパン、菓子

横浜は1859年(安政6年)に開港しました。4~5年も経つと各国領事館や銀行、商社、教会、新聞社、個人の住宅が建ち並び、寒村、横浜はあっという間にエキゾチズム溢れる街に変貌しました。居住者や商用で来日する外国人のためにホテル、イン(...

第5回 外国旅籠屋(foreign hotel)

幕末から明治時代の初めにかけて、日本にやってきた外国人はどのようなところに泊まっていたのでしょう。 プロシア使節団は芝赤羽根の外国人接遇所に滞在(第2回参照)しました。要人は外国人接遇所(迎賓館のようなものでしょうか)に泊まりました。...

第6回 築地のホテル

まだ江戸と呼ばれていた東京にも1868年(慶応4年)、築地の軍艦操練所跡地(現在の中央卸売市場築地市場の一部)にホテルが建てられました。米国人(※「日本洋菓子史」では英国人)のR.P.ブリジェンスの設計による本格的なホテルでした。建...

第7回 日本で初めての西洋菓子広告

横浜の外国人居住区では新聞が発行されるようになりました。英字の“ジャパン・ヘラルド”や邦字の“海外新聞”、“万国新聞紙”、“倫敦新聞”が発行されましたが、特に1867年(慶応3年)1月に創刊された“万国新聞紙”は海外、国内の...

第8回 ミトションって?

横浜に建ち並んだ各国の商館の経営者はことごとく外国人でした。使用人には中国人と共に、日本人が雇われていました。 どこの商館でも一応は外国流の製パン技術と、西洋料理を習得させられ、余暇には外国語も教えてもらいました。といっても系...

第9回 餡パンの木村屋

木村屋の創始者、木村安兵衛はもともとベーカーではありませんでした。 木村安兵衛は常陸の国(茨城県)北相馬郡川原村の出身で、東京府の授産所(授産所とは職業訓練所のようなものだったようです。1868(慶応4)年の戦争に次ぐ凶作で飢...

第10回 メリケン粉

870年ころ、横浜の外国人居留地山下町には"異人さん経営のパン屋"が4軒ありました。 米人クラーク、英国人レンクロフォード、伊太利人デンティス、仏人のパルメスの4人で、クラーク経営のヨコハマ・ベーカリーが大規模なものでした。 ...

第11回 ドッグ・フードの輸送料?

日本に初めての鉄道が開通したのは1872年(明治5年)10月14日(9月12日)、新橋・横浜間の29Kmでした。1日に上り・下り各2回、品川・横浜間が35分かかりました。この時、運賃は上等が1円50銭、中等が1円、下等が50銭でした...
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