第3回 幕末と西洋2 ~ハリスの料理番~

1856年(安政3年)、伊豆下田の玉泉寺には、米国の総領事、タウンゼント・ハリスと通訳官のヒュースケンが滞在していました。
ハリスには滝蔵という身の廻りの世話をするボーイ(給仕)がおり、彼は料理も作っていました。滝蔵は英語はできませんでしたが、ハリスのいう事は何でも判ったのだそうです

ハリスが交渉のため江戸に出ると、滝蔵も麻布十番近くの善福寺(米国公使館)に共に移りました。滝蔵はここで公使館員全員の食事から公式料理までまかなっていました。「パン焼きからプッチングのようなもの」まで作っていたのだそうですが、この《プッチング》がクレーム・カラメル(カスタード・プディング)を指すのか、あるいはプラム・プディングなのか、はたまたロースト・ビーフに添えられるヨークシャー・プディングの類なのか詳らかではありません。

1860年(万延元年)、ハリスはプロシア使節のオイレンブルグ伯爵と午餐を共にしました。オイレンブルグ伯爵は「日本の牛肉はいつも固く、噛むと上顎痙攣を起こす」と、専ら野菜を食べていたのですが、この日、ハリスの料理番は、「素晴らしい正餐で、こんな良い物は幾月間も食べなかった」というほど伯爵を感動させました。

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