第4回 横濱とパン、菓子

「横浜波止場より海岸通り異人館の真図」(三代/安藤広重画)

「横浜波止場より海岸通り異人館の真図」(三代/安藤広重画)

横浜は1859年(安政6年)に開港しました。4~5年も経つと各国領事館や銀行、商社、教会、新聞社、個人の住宅が建ち並び、寒村、横浜はあっという間にエキゾチズム溢れる街に変貌しました。居住者や商用で来日する外国人のためにホテル、イン(小さい旅館)、タヴァン(食堂であり酒場であり旅館)、レストラン、コーヒーハウスが営業しており、パン屋、肉屋、洋酒の店もあり、外国人居留地から諸外国の文化が流入し始めました。

この頃、一般の日本人は外国人にどう接していたのでしょう。外国人は菓子やパンを使って日本人と交流しようとしましたが、貰うどころか逃げ廻っていました。これは政府が貰うことを禁じていたせいもありますが、当時、外国人のイキがかかると死ぬと言われていたこともあったようです。

そこで外国人の方は町の要所々々に、籠や函に菓子類を入れて置いてみました。ところが、”巡邏”がそれを見つけ、全部集めて焼き捨てたのだそうです。

それでも好奇心が強い人はいるもので、試しに食べてみるとこれがなかなか美味しく、香りも良いのです。ついには先を争って取って食べるようになったそうです。初めのうちは、食後うがいをして消毒したといいます。

この時、籠や函に入っていたお菓子は、チョコレート?キャンディ?パウンド・ケーキ?どんなお菓子だったのでしょうか?

タイトルとURLをコピーしました