第29回 復興

「1947-1948年(昭和22-23年)頃の肉筆アルバムのワンカット」。池田文痴菴氏作と思われる。

「1947-1948年(昭和22-23年)頃の肉筆アルバムのワンカット」。池田文痴菴氏作と思われる。

終戦を迎えても食糧事情はすぐには好転しませんでした。人々は食糧を求めて毎日精一杯生きる日が続いていました。

菓子類の価格の統制が撤廃されたのは1949年(昭和24年)8月でした。原材料は1949年(昭和24年)に水あめ、練粉乳、1950年(昭和25年)に乳製品、1952年(昭和27年)に砂糖、小麦粉の統制が撤廃されました。統制撤廃後、ようやく自由に洋菓子を作り、売ることができるようになったのです。

「明治製菓40年史」によれば1950年(昭和25年)1月、上野の松坂屋で戦後初めての菓子展覧会が開催されています。この時、会場で実演品を即売するために、特別に東京都から砂糖、小麦粉、油脂の統制品を分けてもらいました。これらの材料で“砂糖の入った甘い菓子”、“本統(ママ)のお菓子”を作ると、文字通り人々が殺到したといいますから、いかに甘いものに飢えていたかわかります。

前述の木村吉隆氏は進駐軍のQ.Mセールス、ストア・ベーカリー主任としてお菓子を作っていました。ショートケーキ、クリーム・パフ(シュー・ア・ラ・クレーム)、パイ類などに混じって季節品の「お化けケーキ」も作りました。「お化けケーキ」とは「悪魔-サタンが”箒”に乗って空中を飛行する図柄であるとか又は、南瓜に目と口をつけた図を描く」といいますからハロウィーンのケーキです。もっともこれらのケーキは米軍人用でしたから当時の日本人がハロウィーンのケーキを目にする機会はなかったのですが。

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