第32回 高度経済成長と共に伸びる洋菓子業界

日本洋菓子協会監事、堤弥市郎氏のフランス屋。1928(昭和3)年頃の神田神保町の店舗。

日本洋菓子協会監事、堤弥市郎氏のフランス屋。1928(昭和3)年頃の神田神保町の店舗。

この大著も終盤にさしかかりました。第9編では業界の現況を記し、日本の洋菓子界を彩った全国の会員、そのお店、原材料を供給する企業を紹介をしています。

会員店紹介の中で、1960年(昭和35年)当時の神戸、東京のクリスマスの洋菓子店の繁盛ぶりを報告しています。この頃、阪神間では新しいタイプのクリスマス・ケーキとして、スポンジ・ケーキ、アラザン、チェリー、アンゼリカ、などをセットにして500円位で販売する方法が人気があったのだそうです。これに対し東京の業者は「新しい、手間が省ける方法ではあるが、東京の人たちはソンな面倒くさい事をするより、信用ある店で買う方が安上がり」と、一時は流行したものの定着しなかったと語っています。

城南地区の業者の場合、「1958年(昭和33年)、1959年(昭和34年)はクリスマスの売り上げが1日100万円は軽かったですが。これからはどうですか?」とこの頃のクリスマス景気を語っています。

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