その頃、内国勧業博覧会で菓子は農産物に分類されていました。1890年(明治23年)に開かれた第3回内国勧業博覧会の審査官、田中芳男氏は菓子の振興策として”菓子唱歌”なるものを発表しました。
メロディーは不明で主として和菓子に関する歌詞ですが、全部で22番まであるという長い唱歌です。8番は西洋菓子、「殊に近年もてはやす 西洋風の模造品 菓子パン、餡パン、玉子パン ドロップ、ボンボン、ビスケット」と唱っています。「西洋風の模造品」はさておき、パンやビスケットが一般的になってきたことが伺えます。
受賞名簿一覧にはカステラ、金平糖、菓子ボール(ボウル)などの南蛮菓子に加えて、洋風飾り菓子、兵糧ビスケット、アルファベット・ビスケット、ニックナック、デセー(表記のママ)、ガトー・セック、スイートウエブル、などの西洋菓子が登場しています。
スイートウエブルとはウエーファーのことであろうと著者の池田文痴菴氏は推測していますが、ウーブリの可能性も捨てきれません。
函館の中村作兵衛氏出品のデセーとはデセールのこと。ただ、アシェットのデセールを連想するとこれが全く違うのです。デセールとは、プティ・フール・セック、クッキーを指しました。S字形やロルニヨン[LORGNON](仏)(鼻めがね)と呼んでいたクッキー類を総称してデセールと呼んでいたのです。