1873年(明治6年)になると東京でも西洋の食品を売る店や料理店が営業をしていました。
10月に発行された「新聞雑誌」第156号には”東京グルメ・ガイド”ともいうべき記事が掲載されています。西洋料理なら釆女町の西洋軒(当初は西洋の字が当てられのちに精養軒となった)、築地の日新亭、茅場町の海陽亭、洋酒ならどこそこ、ラムネは、牛肉の店はといった具合です。
パンは「鉄砲洲(現在の中央区明石町)のつた本屋」がお勧めでした。つた本屋の開店は1873年(明治6年)、雨宮養堂氏が「つた本」に入ったのはその2年後、1875年(明治8年)のことでした。
雨宮養堂氏の回想によれば、その頃、東京にパン屋さんは10軒くらいしかなかったそうです。木村屋以外は皆、食パンを作っており、そのころの食パンといえばフランスパンでした。イギリス式の型で焼くパンが作られるようになったのは1877年(明治10年)以降とのことだそうです。
1872年(明治5年)5月1日付けの日新真事誌に文明堂万吉という人の広告が載っています。「西洋料理や菓子の稽古をし、築地入船町3丁目で菓子渡世を始めました、料理のケータリング・サービスも行ないます」というご案内です。
文明堂万吉氏が西洋料理や菓子をどこで修業したのか、残念ながら「日本洋菓子史」からは伺い知ることができません。