第12回 西洋料理 《精養軒》

「東京名所図会 下谷区・上野公園之部」 1896年(明治29年)

「東京名所図会 下谷区・上野公園之部」
1896年(明治29年)

上野や東京駅八重洲南口にある上野精養軒は、1872年(明治5年)、丸の内の馬場先門に建てられました。ところが建築直後、銀座の大火で類焼してしまったのです。

精養軒を始めた北村重威という人は文政2年生まれといいますから、この時すでに50代でした。北村重威氏は1868年(慶応4年)から岩倉具視に出仕し、岩倉具視の後援もあって、西洋料理店を開くことになったのです。出端をくじかれたこの焼失にくじけることなく、北村重威氏は火事から間もなく、木挽町5丁目(築地精養軒)で営業を始め、その後、釆女町(現在の銀座東急ホテルのある場所)で洋風建築の本格的なレストランをスタートしました。
 料理を担当したのは、C.L.Nepというシェフやスイス人のチャーリー・ヘス(Carl Jacob Hess)(1838-1897)という料理人でした。

本格的な西洋料理の店として「日新真事誌」に広告も出しましたが、注文は役所からだけ。一般の人の利用はまず無く、苦しい経営状態でした。それにもかかわらず、岩倉具視の強い勧めもあって、精養軒は1876年(明治9年)に上野に支店を出すことになりました。北村重威氏にとって精養軒の経営は、商売というより日本の近代化の一翼を担っているという自負と責任感だったのかもしれません。

米国人の少女クララ・ホイットニーは1976年(明治9年)6月、上野精養軒でお茶とケーキをとりました。彼女は本当はアイスクリームを食べたかったのですが、アイスクリームは日曜日にしか作っていませんでした。クララがその日アイスクリームを食べられなかったのは残念ですが、北村重威氏の面目は保たれたのではないでしょうか。

参考文献:一般社団法人日本ホテル協会発行「HOTEL REVIEW」[外国人居留地比較研究グループ]

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