横浜に建ち並んだ各国の商館の経営者はことごとく外国人でした。使用人には中国人と共に、日本人が雇われていました。
どこの商館でも一応は外国流の製パン技術と、西洋料理を習得させられ、余暇には外国語も教えてもらいました。といっても系統だった外国語教育が施されたわけではありません。聞き覚えた日本人の外国語は、実際の発音に近いともいえますが、かなり訛っていました。
「いわゆる “門前の小僧” 式に習い覚えたものが多くあり、英語イミテーション(Imitation)が、俗称される洋菓子材料名”ミトショウ”に化けるのである(高須八蔵氏談)」
自由が丘の門林泰夫氏によればこの洋菓子材料名とはマジパンのこと。(同家に伝わるレシピにはミトションと表記されています。)挽いて細かくしたアーモンドと砂糖を原材料とするマジパンは可塑性があり、果物、花、動物などのイミテーションを形作ることができます。マジパンを細工してイミテーション(仏語ではイミタシオン)を作るので、マジパンをミトション(ミトショウ)と呼ぶようになったのでしょう。
自由が丘に伝わるレシピをもとに再現したのが写真の “ミトション” です。この他、明治時代の食に関することばには次のような例があります。
ウスキ(ウイスキー)、テイ(茶)、ワダ(水)、シュガル(砂糖)、ミイル(小麦粉)、ブレーテ(麺麭)、ベガアレ(パン屋)、ビスケ(ビスケット)、アイスクリン/アイスキリーム(アイスクリーム)
ごく最近まで明治生まれの製菓人はジャムをジャミ、チョコレートをチョコレットと呼んでいました。声に出してみると、どれも懐かしい響きがします。