ゴディバの創始者 ピエール・ドラップス氏健在なり
今回は「郷土菓子」というよりは「ベルギーが世界に誇るチョコレート」についてです。ベルギー・チョコレートの名前を世界に知らしめた功労者の一人ピエール・ドラップス氏(Pierre Draps)をご存知でしょうか? 名前だけでピンと来る人は少ないと思いますが、ゴディバならご存知の方が多い筈。ピエールさんはそのゴディバの創始者の一人です。
2008年2月、ゴディバはピエール・ドラップスと銘打った8種類のチョコレートを2ヶ月間限定で発表しました。これは今もご健在な伝説のチョコレート職人ピエールさんが、グラン・プラス本店改装記念に創作したものです。その発表の席で彼にお話を伺いました。「私はチョコレートの中で生まれたようなものです。チョコレートは私を魅了し続け、私は自分の人生の全てを捧げました。なんと素晴らしい夢の中を生きて来たことでしょう」
ベルギー・チョコレート産業の夜明け
産業革命による蒸気機関の発明がベルギーを「チョコレートの国」として世界に羽ばたかせることになりました。それは、1835年、焙炒したカカオ豆の粉砕機が初めてブリュッセルに導入されたことに端を発します。その後15年間は、この機械一台でベルギー全土のカカオ豆の粉砕をしていました。
たった一台の機械が、その後に続く工業ブームの先駆けとなり、現在でもその名を残すチョコレートメーカーが続々と誕生しました。高級クーベルチュール生産会社カレボー(1850年)を始めとし、ノイハウス(1857年)、コート・ドール(1870年)、ジャック(1896年)。更にブリュイエール(1909年)、マリー(1919年)、ゴディバ(1926年)と続きました。
ベルギー・チョコレートが有名になった最大の要因を挙げるとすれば、ベルギー人の「創造性」につきます。板チョコに代るプラリネの発明もその一つですが、それを入れるバロタンと呼ばれる特別な小箱を作り出したのも彼らです。それまでのチョコレートといえば、ただ単に紙を三角形にクルクルと丸めたものに入れて売っていました。そのためつぶれたり壊れたりもしましたが、この小箱のおかげでつぶれずしかも持ち運びも便利になりました。
また、小さなサイズで何処でも簡単に食べられるチョコ・バーやパンに塗るチョコレート・ペーストなど、今では全く当たり前になっている商品の殆どがこの時期にベルギーで誕生しました。更に特筆すべきは、クーベルチュールをタンク車で液状輸送するという画期的な手段を考案したことです。このお陰で、チョコレートが扱いやすく保存も簡単になりました。加えて、チョコレートの輸出に早くから力を入れた先見の明と、1935年のブリュッセル万博での成功とが、ベルギー産チョコレートの名声を確立させました。
ドラップスさんちのチョコレート
ピエールさんはチョコレート職人の三男として1919年に生まれました。「ショコラティエといえば今日では他の仕事と同様ステータスがあるようですが、当時は地位も賃金も低い職人でした。両親は寝る間も惜しんで地下室でチョコレートを作っていたものです。働き者の母は父を助けながら、4人の子育てや内職の子供服作りと、休んでいるのを見たことがないほどでした。ですから我々も小さい頃から手伝わされ、朝の5時起きでスミレの花の砂糖漬けやハシバミの実をチョコレートの上に飾ったりしてから学校に行ったものです。
何をやらせても手先が器用な父のチョコレートは、ブリュッセルの食品見本市で最優秀賞を取るほど宝石の様に美しかったのを覚えています。冷蔵庫もない時代なので作り置きができず、家の中は一年中チョコレートの香りにむせ返っていました。ところがまだ幼い子供たちを残し突然両親が早世。我々は路頭に迷いました。しかし助けてくれる人があり、兄妹4人で力を合わせてやっていくことにしました。商業センスのあった兄達と父親譲りで根っからの職人の私とで、大戦後にはグラン・プラスに第一号店を出しました」
トリュフ
期間限定のトリュフ4種類とプラリネ4種類は、ブリュッセルの各店とパリのサントノーレ店のみで4月下旬まで販売します。ピエールさんにどれが一番お好きかこっそり伺ったところ、“ボタニック(植物園)”と命名した、チョコレートクリームをカカオパウダーで覆った一番シンプルなトリュフとのお返事でした。これは昔と同じレシピで作ったものです。トリュフといえば現在どこのショコラティエにもある定番中の定番ですが、実はピエールさんが最初に作り発表したものでした。
今回の限定品はピエールさん指導の下、選ばれた10人のショコラティエ(その中の4人は昔もピエールさんの元で働いていた)が全て一つ一つ手作りするという、伝統的な職人芸を極めた贅沢なものです。しなやかにそして的確に動く彼の指先から生まれるトリュフやプラリネ。それを忠実に再現していくスタッフの技。彼が居るだけで優しいオーラに包まれるアトリエでは笑顔と冗談が飛び交っていました。
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