フイユタージュfeuilletage(仏) パート・フイユテpâte feuilletée(仏) パイpie(英)
feuilletéeはfeuille(葉、薄片)に由来し、feuilletageとは生地を薄い層にする(feuilleter)作業のことです。そうしてできあがったパート・フイユテ(pâte feuilletée)、パイ生地そのものをfeuilletageと呼ぶこともあります。
ですからミル・フイユ(Mille-feuille)とは、mille(1000の)+feuille(葉)、つまり薄い層が幾層にも重なった様子を表し、それが菓名になったものです。Mille-feuilleをミルフィーユと発音すると「mille filles、1000人の娘さん」に聞こえます。綴りも発音も似ていますが、お菓子の名前としてはミル・フイユ(Mille-feuille)です。
さて、このfeuilletageを使ったお菓子、バターを使うかどうかを別にして、生地を薄い層にして何枚も重ねて焼くということなら紀元前1600~1200年頃のエジプトで既に行われていたといいます。
「ラルース料理百科事典」によれば、パート・フイユテは、中世以前、古代ギリシャ人も知っていたのは明らかなのだそうですが、パート・フイユテの発明者として、17世紀の画家クロード・ジュレ(Claude Gelée 1600~1682年)説と、コンデ家の菓子係りだったフイエ(Feuillet)説を紹介しています。クロード・ジュレは菓子製造の見習いをしたこともあったようなのですが、彼は発明者というより、単にこの菓子が好きで再流行させたのだろうと推測しています。フイエは料理人カレームが偉大な菓子職人と賞賛した人でしたが、それでもカレームは彼をフイユタージュの発明者とは明言していません。フイエが《パート・フイユテの発明者である》と言っているのは料理人ジョゼフ・ファーブル(1849~1903年)です。
この他、アンリ4世(1589~1610年)時代のヴィユヴィル男爵の料理長ソーピケ(Saupiquet)だという説もあり、諸説入り乱れています。いずれにしても、この時代よりずっと以前、マカロニやほうれん草を詰めたフイユタージュを使った”フルロン”という料理がありましたし、シャルル5世(1364~1380年)の時代にもfeuilletage à L’huile、オイル入りフイユタージュが作られていたと言いますから、本当のところはよく分からないというのが正解のようです。
参考文献:「ラルース料理百科事典」「現代洋菓子全書」三洋出版貿易株式会社/フランス語の散歩道 10 樫山文男