チョコレートの歴史(2)

カカオの果実はラグビー・ボール位まで育つ。割るとカカオの豆(種子)が並んでいる。

カカオの果実はラグビー・ボール位まで育つ。割るとカカオの豆(種子)が並んでいる。

カカオ豆をヨーロッパ人が知ったのは1500年頃のことでしたが、その用い方、効能が知られたのは、1519年、スペイン人の探検家、フェルナンド・コルテスがアステカ王国に到着してからでした。コルテスはアステカの貴族が愛飲する赤褐色の飲み物が疲労回復に効果的であることを発見、スペインの国王カルロス・世に財宝と共にカーカーアトルを献上しました。

カルロス・世はカーカーアトルに砂糖を加えて飲みやすくし、すっかりカーカーアトルのとりことなりました。スペインに渡って50年、チョコレートと呼ばれるようになったカーカーアトルですが、カカオ豆が貴重品で高価だったため、ヨーロッパ中に広まるのは17世紀初めまで待たねばなりませんでした。チョコレートという言葉が初めて使われたのは1575年と文献から明らかです。しかし、何故、チョコレートと呼ばれるようになったのか、信憑性のある説はありません。ka-ka-atlをかき混ぜるとchoco-chocoと音がしたとか、古代マヤ語のchacau、チャウカウ、温かいものという言葉が変化したという説もありますが、いずれも根拠はうすいようです。

1660年、フランスはカカオ豆の増産を図って西インド諸島のマルチニック島などでカカオ豆の栽培を始めました。ロンドンに初めてチョコレートを飲む喫茶店「チョコレート・ハウス」がオープンしたのもこの頃で、1657年のことでした。

1828年、オランダの科学者、コンラッド・バン・ホーテンはカカオ豆の脂肪分、カカオ・バターを2/3まで搾り取ることに成功しました。より飲み易く、湯に溶けやすくなり、今、私たちがココアと呼んでいる飲み物が普及し始めました。この20年後、イギリスのフライ社が板チョコを発売しました。板チョコはココアを作る際、副産物としてできるココア・バターにカカオ・マス、粉砂糖を加えて作りました。この時、アステカの高価な健康飲料は一般の人が手軽に味わえるチョコレートに一歩近づいたのです。

参考文献:ガトー1980年1・2月号「チョコレートの話 1・2・3」日新化工株式会社技術課:石山茂樹/Cadbury’s CHOCOLATE COOKBOOK:Patricia Dunbar(HAMLYN)/日本チョコレート・ココア協会ホームページ

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