クロワッサン [Croissant]
クロワッサン、このお馴染みのヴィエノワズリーの起源は1683年のウイーン説と1686年のブダペスト説があります。この頃、オーストリア=ハンガリー帝国は強大なオスマン帝国に立ち向かっていました。オスマン帝国は一時、西はハンガリー、東はペルシャ湾岸までを支配する大帝国でした。
1683年、ウイーンはトルコの太守カラ・ムスタファに数ヶ月間包囲されウイーン市民は餓死寸前でした。この時、ロレーヌ公シャルルとポーランド王ヤン3世ソビエスキの率いる軍隊がウイーン解放にかけつけ、トルコ軍を撃退、トルコ人たちは溜め込んでいたコーヒーや小麦粉を置いたまま一目散に逃走してしまいました。ウイーン解放に功績があったのがパン・菓子職人で、彼らは夜中にパン生地を捏ねながらトルコ軍が地下道を掘る音を聞きつけこれを軍隊に通報したといいます。このパン・菓子職人の功績を讃えて、トルコ軍の残していった小麦粉を使ってトルコの軍旗の旗印だった三日月の菓子を作る許可が与えられました。
お菓子屋さんの作るブリオッシュやパン・オ・ショコラをヴィエノワズリー(viennoiserie)、ウイーン風と呼ぶのはこの起源に由来するといい、かなり説得力があります。ところが、「ラルース料理百科事典」では、1686年、ブダペストが包囲された時の話として伝えられているのです。ただ、ハンガリーはこの時既にオスマン帝国の支配下にあり、ヨーロッパ人の手に戻ったのは1690年代になってからです。このブダペスト説は1938年、「ラルース料理百科事典」の初版本を出したアルフレッド・ゴットシャルクに端を発するとみられています。
フランスにクロワッサンがもたらされたのは1770年、マリー・アントワネットがオーストリアからフランス宮廷に嫁いだ時とされています。この頃のクロワッサンは現在のようなクロワッサン・フイユテではなく、普通のパン生地でした。クロワッサンのレシピが初めて現れたのは20世紀の初め、一般に普及したのは1920年頃からと考えられています。
参考文献:「ラルース料理百科事典」(三洋出版貿易株式会社)
「名前が語るお菓子の歴史」ニナ・バルビエ/エマニュエル・ペレ著 北代美和子訳(白水社)
「お菓子の歴史」マグロンヌ・トゥーサン=サマ著 吉田春美訳(河出書房新社)