“洋菓子の草分け時代を語る座談会”が開かれたのをきっかけに「日本洋菓子史」編纂の話が浮上してから2年余り、A4版1287ページに及ぶ「日本洋菓子史」の編纂作業もついに筆を置く時がきました。
当初、1896年(明治29年)くらいから書き始める予定が、村上開新堂の村上二郎氏の協力を得て、明治初期からに改められました。さらに著者の池田文痴菴氏の資料をもとに幕末、安土桃山、室町時代まで日本の洋菓子の歴史をさかのぼることになり、「日本洋菓子史」は空前絶後の大著述となりました。「日本洋菓子史」の完成は“次の新しい洋菓子”の時代の始まりでもありました。
1959年から1961年にかけて「岩戸景気」といわれる好況が続きました。電気冷蔵庫や自動車、カラー・テレビが3種の神器としてもてはやされ、1965年(昭和40年)には冷蔵庫の普及率は50%を超え、冷凍冷蔵庫に主流が移りつつありました。
冷蔵ショーケースの普及が洋菓子店の商品構成に画期的な変化をもたらしました。生クリームを使った洋生菓子、ショートケーキやバヴァロワが年間を通して販売され、売り上げは倍増、洋菓子業界は奇跡的な発展をみました。
終章の“現代の洋菓子”として紹介されている商品からも、この頃が洋菓子新時代への転換点だったことが伺われます。プラム・ケーキやアマンド・マカロンのように比較的日持ちのするケーキに混じってバヴァロワが登場しています。
“洋生菓子”、“洋菓子”という呼び方は1940年(昭和15年)の価格統制時代から定着したのだそうです。1960年(昭和35年)代は、洋菓子が、パティスリーやスイーツと呼ばれる時代に移っていくちょうどその時でした。