第5回 外国旅籠屋(foreign hotel)

幕末から明治時代の初めにかけて、日本にやってきた外国人はどのようなところに泊まっていたのでしょう。

プロシア使節団は芝赤羽根の外国人接遇所に滞在(第2回参照)しました。要人は外国人接遇所(迎賓館のようなものでしょうか)に泊まりました。1869年(明治2年)にイギリスの王子デューク・オブ・エディンバラが来日した折りには、築地の居留地に近い浜御殿の中に設けられた「延遼館」に滞在しました。

外国の公使館や領事館も旅行者を泊めていました。幕府は、お寺を外国の公館にあてていましたので、お寺が外国人の宿泊施設でもありました。

日本にやってきたのは要人ばかりではありません。横浜や長崎、函館が開港〔1859年(安政6年)〕するやたちまち欧米各国人が大挙して押し寄せてきました。なにしろ当時、日本で貨幣の両替をすると濡れ手で粟のぼろ儲け。中には詐欺師、夜逃げ、金鉱探しの食い詰め者などとんでもない人々もいました。もちろん困り者の外国人ばかりでなく、商人や宣教師、雇われた外国人、旅行者など善良な人々もやってきました。

彼等は日本の家屋を借りたり、日本家屋を改装したホテルに泊まっていたようですが、そのうち新築のホテルも建ちました。こうしたホテルはすでにビリヤード・ルーム兼バーや食堂を備え、食事も洋食、パンも焼いていたようです。

参考文献:一般社団法人日本ホテル協会発行「HOTEL REVIEW」[外国人居留地比較研究グループ]

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