マドレーヌ [madeleine]
貝殻型のマドレーヌを誰が考案したかについてはさまざまな説があります。ピエール・ラカンという人の「パティスリー・覚え書き」では『タレイラン公(Talleyrand 1754-1838)のもとで働いていたアヴィス(Avice)という腕利きの料理人が、トーフェ(tôt-fait:すぐにできるの意味。同割りの粉、砂糖、溶かしバター、卵を混ぜるカトル・カールと同類の生地)やカトル・カール(quatre-quarts)の生地を小さな貝殻の形をしたゼリー寄せの型で作ることを思いつき、アヴィス自身が愛人の名前、マドレーヌと名付けた』と言っています。
しかし、アヴィスが創ったとする以前にフランス、ロレーヌ地方のコメルシー(Commercy)にマドレーヌの起源があるとされています。
食通のポーランド王、スタニスラス・レクチンスカ(1677-1766)がロレーヌ地方に滞在していたおりの1755年のある日、王のパティシエが厨房で口論の末、仕事を放り出してしまいました。この時、若い召使の女性が祖母直伝のビスキュイのような菓子を作ってこの危機を乗り切った、この女性の名前こそマドレーヌだったというのですが、その信憑性は‥‥。
と言いますのはこの逸話以前に、スタニスラス・レクチンスカがレモンの香りのするマドレーヌ・ド・コメルシーをいたく好み、1730年頃にはヴェルサイユで、次いでパリで流行したとされているからです。スタニスラス・レクチンスカの娘、ルイ15世の妃になったムラングの好きなマリー・レクチンスカ(1703-1768)を通してパリに伝わったのかもしれません。
また、アレクサンドル・デュマの「大料理事典」にはマドレーヌ・ポミエという女料理人の名前も登場します。コメルシーの裕福な家の一流の料理人だった彼女がスタニスラス・レクチンスカのためにマドレーヌを作り、王が彼女を讃えてマドレーヌと名付けたというのです。しかしレシピが懲り過ぎで、どうもこの説は疑わしいと見られています。
マドレーヌの作り方は長い間秘密にされていましたが、コメルシーのお菓子屋さんに非常な高額で譲られ、町のスペシャリティになったということです。現在、正式な製造業者は1軒しかなく、この店のマドレーヌは薄いブナの皮で作られた楕円形の箱に入れて売られています。
参考文献:「ラルース料理百科事典」(三洋出版貿易株式会社)
「名前が語るお菓子の歴史」ニナ・バルビエ/エマニュエル・ペレ著 北代美和子訳(白水社)
「お菓子の歴史」マグロンヌ・トゥーサン=サマ著 吉田春美訳(河出書房新社)