タルト・オ・マトン(仏語。フラマン語でマトンタート)
ベルギーの切手の絵柄に採用された唯一の郷土菓子であるタルト・オ・マトンは、ブリュッセルから50キロほど西のフランダース地方グラモンという町の名物です。これはカステラをもっとフワフワにしたような食感の中身をバタータップリのパイ生地で丸く包んだ手のひらサイズのタルトです。
マトンの故郷
平地が果てしなく広がるフランダース地方ですが、グラモンは「ジェラールの山」という意味の町名からも推察できるように、丘陵に富み数多くの泉がある景勝の地として中世からその名が知れ渡っていました。豊かな湧き水と広大な草原は一年を通じて乳牛に牧草や飼い葉を提供。ここで得られる濃厚な牛乳がタルト・オ・マトンの生みの親なのです。
マトンの語源のマットはフラマン語、ドイツ語、フランス語の古い方言にみられ、いずれも「固まった乳」を意味します。
中世、冷蔵室を所有するのは城や修道院だけで農民は新鮮な牛乳を保存する方法がありませでした。特にいたみやすい夏場の牛乳の保存方法としてこの菓子が考案されました。牛乳を凝乳(これがマトン)と液体の乳清に分け、乳清は家畜に与え、マトンに卵と砂糖を加えパイ生地で包みカマドで焼いて保存食にしたのです。この地方の領主達の祝宴には最良のワイン、そしてこの焼き菓子が供されるのが常だったそうです。ほんのりと甘いマトンを詰めた蕪の形をしたグラモンの焼き菓子は、12世紀にはすでに各地の村祭りで評判を呼んでいました。そして13世紀になると、南仏の吟遊詩人トルバドゥールもその詩に書き残すほど、ヨーロッパの辻々でも有名になりました。
本物のタルト・オ・マトンを残そう
今ではどこのパン屋にも置いてあるほどポピュラーなタルト・オ・マトンですが、工場で一括生産された製品が出回っているのが現状です。そこで1979年、グラモンのパン屋職人達が立ち上がりタルト・オ・マトン保存協会を結成。材料の鮮度や質を規定して伝統に沿った作り方の普及に努めることにしました。例えば、生乳の代わりの殺菌乳はご法度ですし、バターミルクの代用として酢を使うことも、卸用に既に卵黄と卵白に分けてある卵の使用も禁止です。更にバターの代わりにマーガリンを使った折り込みパイも本物のタルトとは認めません。しかし協会指定のこれらの材料はコストが高いと同時に、作るのに手間ひまがかかります。それでも協会の会員達は「おらが村の伝統菓子」を保存し伝えていこうという熱い職人気質に溢れています。
そんな彼らの作ったタルトは、工場製と比べ材料の質が違うことに加え、170グラムの中身がしっかりと詰まっているので、焼いてもパイ皮と中身の間に隙間ができません。このため室温で3日間はしっとりと美味しいのです。
また彼らはタルト普及の一環としてベルギーで一番大きいタルト・オ・マトンも作りました。15人のパン職人が2000個の卵を卵白と卵黄に分ける作業から始まった巨大なタルトは、幅1メートル30センチ、長さ12メートル57センチ、重さ536キロというもので、ギネスブックに載りました。
作り方
絞りたての濃厚な牛乳を沸騰直前まで沸かしバターミルクとあわせ、半固形と液状に分離させます。この半固形成分を大きな平織りの綿布にすくい入れ、布の四隅をくくり棒に吊るし涼しいところで一晩水分を切るとマトンが出来上がります。以前はパン屋自身が作っていたマトンですが、現在は酪農家が作っています。
パン屋はこのナチュラルなマトンに卵と砂糖を混ぜ合わせマトン生地を作ります。ごく薄く延ばしたパイ生地を型に敷き、マトン生地を絞り入れ、その上をパイ生地で覆います。表面に溶き卵を塗り、はさみで空気穴を開けた後はオーブンで焼くだけです。
和菓子の繊細さ
焼きたてのタルト・オ・マトンは黄金色に輝きバターの香りが辺りに満ちてすぐにでも食べたいところですが、焼きたてのタルトは食べません。常温に冷めたものを、コーヒーと共に食べたり、子供達は朝食やおやつにするそうです。サクッと香ばしいパイ生地とほんのりと甘くしっとりとした中身との食感の違いも絶妙ですが、淡雪が太陽に溶けるように舌の上でハラハラと溶ける中身には、和菓子の世界に通じる繊細さがあります。これを食べた中世の人たちの驚きと賞賛が手に取るように分ります。